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http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2008_06_24_chinjutsu.html 被控訴人:口頭陳述要旨(2008.6.25) 被控訴人:口頭陳述要旨(2008.6.25)1 本件訴訟の判断枠組みについて(答弁書)(1)『沖縄ノート』は、梅澤隊長及び赤松隊長の自決命令を摘示していない。 (2)控訴人赤松については、 (3)梅澤隊長及び赤松隊長の自決命令があったことについて、 2 「控訴理由の骨子」に対する反論等(被控訴人準備書面(1))(1)原判決の認定と本件書籍の出版の適法性 (2)平成18年度教科書検定と本件書籍 (3)宮城初枝氏への自決命令について (4)屋嘉比島での2家族の自決について (5)控訴人主張の「原判決における証拠評価の誤り」に対する反論は、 (6)宮平秀幸の新証言について 口頭陳述要旨 2008年(平成20年)6月25日 被控訴人ら訴訟代理人 1 本件訴訟の判断枠組みについて(答弁書) (1)『沖縄ノート』は、梅澤隊長及び赤松隊長の自決命令を摘示していない。 原判決が、座間味島及び渡嘉敷島の住民の集団自決について、日本軍が深くかかわったことを認め、梅澤隊長及び赤松隊長が関与したことが十分推認でき、両隊長が自決命令を発したとすることについて、真実と信じるについて相当な理由があり、この点は現在(原審口頭弁論終結時)においても変わりがない、と判示したのは極めて正当であり、この点について異論はまったくありません。 ただし、『沖縄ノート』は、梅澤隊長及び赤松隊長が住民に自決を命じたとの事実を摘示したとしたものではないので、この点について指摘させていただきます。 すなわち、『太平洋戦争』は、梅澤隊長が住民に自決を命じたと記載しており、同書については、控訴人梅澤の自決命令の有無が争点になりえますが、『沖縄ノート』は、座間味島の集団自決については、「日本人の軍隊の《(中略)いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている」と記載しているのみで、自決命令が座間味島の守備隊長によって出されたとの記述も、控訴人梅澤を特定する記述もなく、控訴人梅澤が自決を命じたとの事実を摘示したものではないことが明白です。 また、『沖縄ノート』には、自決命令が渡嘉敷島の守備隊長によって出されたとの記述も、赤松隊長を特定する記述もなく、赤松隊長が自決を命じたとの事実を摘示したものではありません。このことは、答弁書において詳述したとおりです。 (2)控訴人赤松については、 故人への敬愛追慕の情侵害の不法行為の成否が問題となりますが、仮に『沖縄ノート』が赤松隊長の自決命令を摘示したものであるとしても、歴史的事実に関する論評であることから、その真実性については、それが一見明白に虚偽ないし全くの虚偽であることが証明された場合にはじめて不法行為が成立しうることになるものです(落日燃ゆ事件東京高裁判決、及び百人斬り競争事件東京地裁判決、東京高裁判決、最高裁決定参照)。 (3)梅澤隊長及び赤松隊長の自決命令があったことについて、 真実と信じるに足りる相当な理由があるとした原判決の結論にはまったく異存はありませんが、念のため、以上の点を指摘させていただきます。 2 「控訴理由の骨子」に対する反論等(被控訴人準備書面(1)) (1)原判決の認定と本件書籍の出版の適法性 控訴人は、原判決が隊長命令の真実性を認定しなかったから、本件各書籍の出版の違法性が明らかになったと主張するようですが、原判決は、隊長命令があったと断定することはできないが、隊長命令があったことについては合理的資料又は根拠があると評価できるから、被控訴人らが真実と信じるについて相当の理由があった、それは現在(原審口頭弁論終結時)においても変わりはないとして、出版差止め、損害賠償等の不法行為責任を否定しています。 すなわち、原判決は、本件書籍の出版の適法性を認めたものであり、控訴人の主張に理由がないことは明らかです。 (2)平成18年度教科書検定と本件書籍 控訴人は、昨年12月26日に発表された教科書検定についての文部科学省の立場を理由に、本件書籍の違法性を主張しています。 しかし、文部科学省は、本件訴えの提起及び控訴人梅澤の陳述書などによって隊長命令があったとする従来の通説が覆されたとして行った平成18年3月30日発表の教科書検定を事実上撤回し、「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」「日本軍は、住民に対して米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。このような強制的な状況のもとで、住民は、集団自決と殺し合いに追い込まれた」などの教科書の記述を認める立場に至ったもので(乙103琉球新報記事)、控訴人の主張は失当です。 控訴人引用の平成19年12月26日公表の教科用図書検定審議会日本史小委員会の「基本的とらえ方」は、「集団自決は、太平洋戦争末期の沖縄において、住民が戦闘に巻き込まれるという異常な状況の中で起こったものであり、その背景には、当時の教育・訓練や感情の植え付けなど複雑なものがある。また、集団自決が起こった状況を作り出した要因にも様々なものがあると考えられる。18年度検定で許容された記述に示される、軍による手榴弾の配布や壕からの追い出しなど、軍の関与はその主要なものととらえることができる。一方、それぞれの集団自決が、住民に対する直接的な軍の命令により行われたことを示す根拠は、現時点では確認できていない。他方で、住民の側から見れば、当時の様々な背景要因によって自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる。」(乙103琉球新報記事)としており、「直接的な軍の命令」を示す根拠は現時点では確認できないとしているだけで、軍による手榴弾の配布や壕からの追い出しなどの「軍の関与」を、集団自決の主要な要因として明確に認めています。 したがって、同意見は、原判決が、日本軍及び座間味島及び渡嘉敷島の隊長が集団自決に関与しており、隊長が自決命令を発したことについて合理的資料若しくは根拠があり、隊長が自決命令を発したことが真実であると信じるについて相当の理由があると認定したことの裏づけにこそなれ、同認定を覆す根拠となるものでは全くありません。 (3)宮城初枝氏への自決命令について 控訴人は、「母の遺したもの」に、内藤中尉から弾薬の運搬を指示され、木崎軍曹から自決用の手榴弾を渡された宮城初枝氏が、その後部隊に合流帰還した際に梅澤隊長や内藤中尉から「無事でなによりだった」などと労をねぎらわれたと記載されていることについて、「自決命令がなかったことを雄弁に語るものである」などと主張していますが、初枝氏は女子青年団員として、梅澤隊長が指揮する軍と行動を共にし、弾薬運搬などの任務に従事していたもので、任務を終えて部隊に合流した初枝氏の無事を喜ぶのは当然のことです。木崎軍曹は、弾薬運搬の任務に出かける初枝に対し、「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をしなさい」と言って、米軍の捕虜とならぬよう自決用に手榴弾を渡したもので(甲B5・46頁)、梅澤隊(=梅澤隊長)が自決を命じたことは明らかで、無事を喜ぶことと、万一のときに捕虜にならぬよう自決を命じたこととは、なんら矛盾するものではありません。 (4)屋嘉比島での2家族の自決について 控訴人は、原判決が「集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決が発生しなかったことを考えると、集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当」と判示したことについて、日本軍が駐屯する場所に米軍が攻撃を加えたからこそ、追いつめられた住民が集団自決を行ったのであり、屋嘉比島では日本軍がいなかったが米軍が上陸したことによって集団自決が発生していると主張しています。 確かに、渡嘉敷島、座間味島、慶留間島では、米軍が上陸を開始し、攻撃を加えた際に集団自決が発生しています。しかし、集団自決の原因は、日本軍が、秘密保持のため、米軍の捕虜となった場合の恐ろしさを住民に植え付け、米軍の捕虜となることを禁じ、米軍が上陸した場合は玉砕するよう命じていたからにほかなりません。 座間味島では、毎月8日の大詔奉戴日に、忠魂碑前に村民が集められ、日本軍や村長・助役(防衛隊長兼兵事主任)らから戦時下の日本国民としての「あるべき心得」を教えられ、「鬼畜である米兵に捕まると、女は強姦され、男は八つ裂きにされて殺される。その前に玉砕すべし」と指示されました(甲B5「母の遺したもの」97~98頁、宮城証人調書18~19頁)。渡嘉敷島でも、毎月の大詔奉戴日に、日本軍の戦隊長やその代理が出席し、「日本人の魂として、いざとなったら米兵に残酷な殺し方をされたり蹂躙される前に自決するのだ」という考え方を住民に浸透させるような儀式が行われていました(皆本証人調書22頁、甲B66皆本陳述書19頁)。 また、座間味島では、昭和19年9月に日本軍が駐留するようになった直後に、基地大隊の小沢隊長が、島の青年団を集め、アメリカ軍が上陸したら耳や鼻を切られ、女は乱暴されるから、玉砕するよう指示しており(乙41宮村文子陳述書、宮城証人調書20~22頁、乙74図)、慶留間島でも、第2戦隊の野田義彦隊長が、1945年(昭和20年)2月8日の「大詔奉戴日」に、阿嘉国民学校慶留間分教場の校庭に住民を集め、「敵の上陸は必至。敵上陸の暁には全員玉砕あるのみ」と厳しい口調で訓示していました(乙48與儀九英氏回答書、乙9・730頁大城昌子手記)。 第2戦隊(野田隊長)が駐屯していた座間味村の阿嘉島では集団自決は発生しませんでしたが、日本軍は同様の指示・命令を行っており、住民は山中の谷間(杉山)に集まり、軍が配布した手榴弾の周りに円陣を組み、集団で自決しようとしましたが、米軍の攻撃が及んで来なかったため、中止され、その後も攻撃がなかったため自決に至らなかったものです。 控訴人指摘の屋嘉比島には、軍需産業である銅鉱山があり、鉱業所の職員と家族1,000人余が居住していました。日本軍は駐屯していませんでしたが、1945年(昭和20年)3月、屋嘉比島の17歳から45歳までの多数の住民が防衛隊として召集され、第1戦隊(梅澤隊長)及び第2戦隊(野田隊長)の指揮下に置かれていました(乙49「座間味村史上巻」344頁、乙9沖縄県史703頁中村仁勇手記)。また、屋嘉比島は座間味村に属しており、直接あるいは座間味村の兵事主任を通じて日本軍の指揮命令を受ける立場にありました。防衛隊員は兵事主任を通じて召集されており、米軍が上陸したときは捕虜となることなく玉砕するようにとの日本軍の指示・命令は、座間味島及び阿嘉島、慶留間島などの住民と同様、屋嘉比島の住民にも当然伝えられていたと考えられます。そして、米軍上陸時に、鉱業所の職員と家族は坑内で自決を準備したということですが、2家族のみが自決し、その他の住民は米軍の捕虜となり自決に至りませんでした(乙49「座間味村史上巻」364頁)。 以上のとおり、屋嘉比島で米軍上陸時に住民のごく一部(2家族)が自決したからといって、慶良間列島の集団自決への日本軍の関与を否定することにはならないと考えられます。 (5)控訴人主張の「原判決における証拠評価の誤り」に対する反論は、 被控訴人準備書面(1)に記載したとおりです (6)宮平秀幸の新証言について 控訴人主張の宮平秀幸の新証言は、従前の宮平秀幸氏の供述などに照らし、まったく信用できないものです。この点については、控訴理由書に対する反論書において詳しく反論する予定です。 以上 沖縄集団自決訴訟第2審
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Napoleonic Wars 19世紀のナポレオン戦争時代を舞台にしたマルチプレイ専門のDLC プレイヤーはフランス第一帝政、オーストリア帝国、ロシア帝国、イギリス王国、プロイセン王国、ライン同盟の6カ国を使用できる。誠に残念ながら2018年4月現在の状況ではオスマン帝国を使用することはできない、MODや追加コンテンツでの登場が望まれる マムルークやイェニチェリでウハウハしたいと思った人は気をつけるように! 派閥(Nations) Napoleonic Wars内に登場する6カ国を紹介するよ フランス第一帝政 ナポレオン・ボナパルト率いる大陸軍の国 ただしゲーム内にナポレオンが出てくれるわけではない オーストリア帝国 別名ハプスブルク帝國 対仏大同盟側としてフランス側と戦った ロシア帝国 帝政ロシアとも呼ばれる国 上に同じく対仏大同盟側として戦った 兵科選択の際にこの国だけパルチザンという兵科が選べる ぜひ使ってみよう! イギリス王国 これも対仏大同盟側 兵科でスコットランド兵士やバグパイプ奏者が使える 戦場でのバグパイプの演奏は士気の向上に役立つだろう プロイセン王国 対仏大同盟側 厨二心をくすぐる鷲の紋章が特徴 ライン同盟 対仏大同盟側 2018年1月17日のアップデートで追加された 史実では1813年のライプツィヒの戦いでの敗北とともに解体された ※ゲーム内では対仏大同盟側などは関係ないです Commander battle Napoleonic Warsにより新たに追加されたマルチプレイ形式 各プレイヤーは自分が率いる兵種を選択し、鯖によって設定された数のBOTを部下として率い、オフィサーとして出撃する 実にこの時代らしい戦列歩兵同士の戦いを楽しむことができる、なお死亡した場合は自軍の兵卒として自身が率いる部隊が残っている限り復活できる with Fire and Swordのcaptain形式と似ているがこちらの場合は率いる部下は全て同一兵種で構成されている(captainの場合は小隊の混成編成が可能) 戦訓 常に味方多数対敵小数を心がける。正面から打ち合った際は数にはかなわない。 ランチェスターの法則を思い出し、局所的優位を作り続ければ勝てる。 歩兵 各兵は30発の弾丸を持っている。マスケット銃は約20秒に1回の速度で撃てるので、Fire at will 各個射撃で自由に発射させた場合、20秒×30回で約10分程度で弾切れになる。ライフルはもう少しかかるし大砲に弾切れはない。 勝負がつきにくい戦場では、本格的な射撃が始まり10分を経過をすると敵味方ともに弾切れを起こし白兵戦へと移行しやすい。 自分だけ数発分温存した状態で敵が弾切れを起こせば一方的に攻撃できるので、そういった戦場では射撃を計画的にすると良い。 戦列歩兵 正規兵の中では人数が一番多い基本的な歩兵。戦列歩兵より人数の少ない擲弾兵と正面から打ち合った際は、人数の差から勝ちやすい。 擲弾兵 戦列歩兵より人数が少ない代わりに体力が多い。残念ながら擲弾は投げられない。 ライフル兵 命中精度の高いライフルを装備した歩兵。通常の歩兵より射程・精度に勝るが装填時間・白兵戦能力は劣る。 それはライフルは装填に時間がかかる上に銃剣を銃口に装着できないためである。 戦列歩兵や擲弾兵などのマスケット銃を装備した兵と正面から打ち合う際は、それらマスケット銃兵の射程よりも少し遠めで打ち合ったほうが良い。 敵の弾はなかなか当たらず味方の弾は当たるという状況を作れるためである。近づきすぎるとマスケット銃・ライフル銃の命中率はあまり変わらなくなってくる。 そうなると後は人数と装填速度で勝負が決まるので、できる限りライフル銃の得意な距離で撃とう。 白兵系 白兵系の兵種は、ロシアの農民兵・イギリスの水兵などである。いずれも射撃戦よりも白兵戦を念頭に置いているので正規兵とは少し運用方法が変わってくる。 騎兵と戦っても勝てないので戦わない事。 ロシアの農民兵は、人数は多いが2人に1つしか銃を装備しておらず射撃に劣る。(畑から採れた農民を無理やり戦わせたレニングラードを思い出す) ただし白兵戦になった場合はローマ人がピルムを投げつけるように、事前に空ビンを投げつけてから白兵戦を行うので白兵戦でちょっと有利・・なのかな? またその数的優位を生かし、農民兵が敵に突撃し敵陣を混乱させ、その隙に正規兵がギリギリまで近づいてきて射撃または白兵戦を行うという共同作戦を見かける事も多い。 いずれにしろ単独で運用するには癖のある兵科である。 騎兵 騎兵は一兵一兵が歩兵に比べて貴重であり、無駄な損耗はさけるべきである。 とある名もなきプレイヤーの考える近接攻撃(melee attack)騎兵の優先して攻撃すべき兵科は以下の通り。 ライフル兵・竜騎兵>軽騎兵>戦列歩兵・重騎兵>砲兵 ライフル兵は極端に白兵戦に弱いため、戦果を得やすいわりに価値は戦列歩兵と同等か若干上である。 十分に準備をした戦列歩兵は騎兵を銃剣で返り討ちにする事もあるので、攻撃先をライフル兵か戦列歩兵かで選べるならばライフル兵を優先すべきだ。 ライフル兵・竜騎兵は近接攻撃騎兵のデザート的扱いなので、切り込みさえすれば圧勝できるだろう。砲兵は貴重な騎兵でわざわざ狙う価値がない。砲兵か歩兵かなら歩兵を狙いたい。 優先順位はプレイヤーの考え方や地形その時々の状況によって変わるので、あくまで参考までに 兵科 重騎兵・軽騎兵 日本騎兵の父、秋山 好古は、陸軍大学校で、学生たちに騎兵の特徴(高い攻撃力と皆無に等しい防御力)を説明する際、素手で窓ガラスを粉砕。血まみれの拳を見せ、「騎兵とはこれだ」と示した。 騎兵には高い機動力と突撃力がある。これを活かすべきである。 ただし1部隊で多数の敵部隊に突撃するのは無謀であるし、適切な場所で密集した歩兵に正面から突撃すれば容易に撃退されるだろう。 戦術 プレッシャー 主に敵の歩兵に対し行う。攻撃を行わなくとも、騎兵の存在は歩兵にとってはプレッシャーである。そこで戦場を縦横に移動し常に存在をアピールする。 歩兵同士の打ち合いの際には、被弾率を下げるために敵味方ともに散会陣形をとりながら打ち合う事が多い。だが騎兵が近づいてくれば敵は騎兵の攻撃に備え密集陣形に移行するだろう。そこに散会したままの味方歩兵が打ち込めば大きな戦果を得られるだろう。敵が散会したままの際には、突撃してもよい。 カウンター 主に重騎兵が担う。敵の騎兵は味方にとって大きな脅威である。そこで敵騎兵が突撃してきた際のカウンターとして味方を守る。これにより味方歩兵は安心して前に出れるようになる。 カウンターをする際には1対1はなるべく避けるべきである。敵騎兵は味方歩兵を狙っているはずであるから、できればその味方の近くで敵騎兵とぶつかり、歩兵の射撃支援を受けたい。 そうすればおのずと敵の損耗が増え味方の損害がへるだろう。敵が竜騎兵の場合はタイマンでも圧勝するのでどんどん切り込みたい。 敵騎兵が消滅した後は、戦場は味方騎兵の支配下にある。好きなタイミングで好きな箇所に突撃すると良い。 奇襲 主に軽騎兵、次に重騎兵が担う。敵陣側面または後方に回り込み孤立した敵部隊を攻撃する。高低が大きいマップは死角ができやすいので、敵に見つからずに敵陣奥深くまでもぐりこみ奇襲をかけよう。軽騎兵は機動力はあるが体力がないので反撃されると大きな損害を受けやすい。攻撃する際はできたら敵後方から襲い掛かりたい。 飽和攻撃 味方騎兵3個以上が一度に敵に襲い掛かる戦術。味方騎兵多数で敵1個に襲い掛かると圧勝するので活動限界までそれを繰り返していく。 ただ場が白けるので、どんどんプレイヤーが抜けていってサーバーが過疎りやすい。 偽装退却 敵の後ろをとる戦術。ハイリスクハイリターン。そんなに使う機会がない。 以下については1騎兵部隊対1騎兵部隊、敵味方ともに警戒し合いこう着した状態、比較的平坦だが丘陵などで見通しが悪い、釣られた敵プレイヤーが後ろを警戒していない、以上の状況を想定してほしい。具体的には砂漠マップなど。 部隊は指揮官であるプレイヤーとその部下のAI達で構成されている。2つの存在でなりたっているという点を生かしプレイヤーとAIが連携して攻撃する方法。 まずAIを敵に見えないよう絶妙な位置に待機させる。次にプレイヤーが単体で敵部隊に接近する。挑発等をして敵部隊を引き寄せ、プレイヤー1騎で敵部隊全部を釣る。 (敵部隊) 丘陵 (部下のAI達) ↓ (プレイヤー単騎) 敵がプレイヤーに釣られたら、部下AIの接近を敵に悟られないタイミングで部下にフォローミーオーダーを出す。 しばらく走って俯瞰図で見るとオセロで挟むように、プレイヤーと部下AIで敵を挟む形にする。 ←プレイヤー←敵プレイー←敵AI達←部下AI達 (矢印は進行方向) プレイヤー旋回。敵をその場にとどめつつ、部下AIに突撃指示。 上手くいけば敵後方または側面に一方的に切り込める。 後ろから切り込めたら、こちらは攻撃できるが相手は攻撃できないという状況を作れるので圧倒的有利。 筆者である名もなきプレイヤーの場合は、敵全滅、味方損害2騎ぐらいでした。失った馬も敵の馬を回収するだけで全回復。 逆にこちらがやられた場合の最善策は離脱。その場で戦っても圧倒的不利なので、損害を覚悟しつつ フォローミーオーダーで部下を引きはがし体制を整えたほうが良い。 兵科 竜騎兵 射撃も突撃も素早い移動もなんでもOK・・という中途半端な兵科。撃っては歩兵に負け、切っては重騎兵・軽騎兵に負ける。 そのせいか竜騎兵を使うプレイヤーの中には迷いのプレーを見ることが多い。突撃すべき時に射撃をし相手に備える時間を与えたり、敵陣側面に回り込み射撃をしかけようとして近接攻撃騎兵の反撃にあい序盤に全滅、などもよく見かける。撃つべき時に撃ち、切り込むときに切るメリハリのあるプレーをすれば強い・・・のかな? ロマンだけはある。 ※突撃に際しての注意点※ 全ての騎兵に言える事であるが、騎兵の機動力と突破力は突撃の瞬間をピークに急速に衰えてゆく。足を止められた騎兵は迎え撃つ歩兵の銃剣の餌食になるのは必至である。 これはクラウゼヴィッツが提唱した『攻撃の限界点』が良く当てはまる(厳密に言うとこれは戦術規模の攻勢や敵領土への侵攻に対しての概念だが)。 「攻撃による優位性は時間が経つにつれ消えてゆく」 すなわち、騎兵の突撃や攻撃は歩兵にとって脅威ではあるが、突撃で得られる優勢は突撃の瞬間をピークに時間が経つにつれ無くなり、いずれは歩兵の反撃にあうという事である。 つまり、重騎兵であれ軽騎兵であれ、敵陣での長居は無用。筆者の場合、AIに戦闘させる時間は長くて六秒、推奨は四秒ほどである。ほとんどの騎兵は突撃から四秒後に攻撃の最高潮に至るので、それを見届けたら素早く離脱するのが賢明である。 勿論、これはあくまで理論であり全ては状況によって左右される事をお忘れなく。たとえば、敵がライフル猟兵であればこの限りではない。 砲兵 2プレイヤー対2プレイヤーなどの規模が小さい戦場では効果を発揮しにくい。 できるなら規模の大きな戦場で使うべきだろう。 カノン砲 同じ位置から同じ角度で撃てば必ず同じ場所に当たる戦場の狙撃手。止まっている敵にはどんどん撃って行きたい。 砲弾は直線で飛び次第に落下をする緩やかな放物線を描くので、物理学上では射角45度で発射した際がもっとも遠くに届く(ゲーム上でも同じかは不明)。 この角度で届かない相手は射程外。 カノン砲の弾は着弾後、地面を3~5回程度跳ねる。そのため目標の地形が平地の場合、若干手前を狙ったほうが当たる確率が高くなる。 丘陵の場合はその起伏が砲弾をはじくため、ピンポイントで狙わなければ当てにくくなる。 榴弾砲 強い放物線を描きながら飛ぶので癖がある。なれるまで時間がかかるだろう。着弾後はその場で爆発し、その周りにいたものを巻き込む。うまくはまると一気に敵を削れる。 ただカノン砲と違って常にピンポイントで狙う必要があるので、カノン砲よりも操作が難しいかもしれない。 諸兵科連合 ・騎兵がプレッシャーをかけ敵歩兵を密集させれば、味方歩兵・味方砲兵の弾が当たりやすくなる。 ・歩兵・砲兵がプレッシャーをかけ敵を散会させれば騎兵が突撃しやすくなる。 歩兵が騎兵を助ける 敵と味方の歩兵が打ち合っている所に騎兵突撃をかけると、通常にくらべて被弾する確率が下がる。 AIは近くの敵を攻撃するように設定されているが、すでに射撃戦をしている場合は新しい敵にターゲットを変更しにくくなるためである。 そのため騎兵が近づいて行っても敵歩兵は味方歩兵に対して射撃を続けてしまい、味方歩兵に対して射撃で反撃する機会を失う。 騎兵が歩兵を助ける 騎兵が歩兵に突撃をすると、敵歩兵は白兵戦に移行し騎兵にターゲットを変える。そこに先ほど打ち合っていた味方歩兵が近づいていっても敵歩兵は味方騎兵との白兵戦で忙しいのでターゲットにされない。その隙にできるだけ敵歩兵に近づき射撃または銃剣突撃をすると騎兵を大きく助ける事ができる。 勝手ながら派閥の紹介を追記 -- パルチザン (2018-04-14 18 06 07) それと、Napoleonic Warsの議論が出来ればいいなと思い、コメントフォームを勝手に設置しました。問題があればお消しくださいm(_ _)m -- パルチザン (2018-04-14 18 09 40) すばらしい!前より断然読みやすくなってる。何年も前に記事を書いたのですが、長々書いているうちにどんどん読みにくくなり困り果て遠ざかっていました。ありがとうございす。 -- 古参兵(臆病者) (2018-05-30 18 18 22) たまに歩兵がゆうことを聞いてくれない... -- 名無しさん (2021-06-11 14 17 28) steamからこのゲームをしてみたいと思っているんですが、元となる Mount amp Blade Warband が必要になるんですか? -- 豆腐 (2021-12-06 11 29 04) 必要ですよー -- 名無しさん (2021-12-14 22 07 55) 名前 コメント
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Hi-うささん アイドレスWiKiの該当ページ 名称:Hi-うささん 評価:・体格(評価9)・筋力(評価12)・耐久力(評価9)・外見(評価12)・敏捷(評価14)・器用(評価11)・感覚(評価11)・知識(評価5)・幸運(評価12)・対空戦闘(評価12) 特殊: *Hi-うささんはI=D、航空機として扱う。 *Hi-うささんは白兵戦行為ができ、この時、白兵戦の攻撃判定は評価+2される。燃料を1万t消費する。 *Hi-うささんは遠距離戦闘行為ができ、この時、遠距離戦闘の攻撃判定は評価+2される。燃料を1万t消費する。 *戦闘時に1機につき燃料4万tを使用する。 *戦闘時に1機につき資源3万tを使用する。 *パイロットの他、コパイロット1名を必要とする。 *Hi-うささんの人機数は5人機として扱う。 *アタックランク15として数える →次のアイドレス:なし AD枠 →次のアイドレス:・Hi-にゅーうささん(乗り物)・I=D・hin-にゅーうささん(乗り物)・うささんMk3(乗り物)・ちびさん(乗り物) コメント 特徴は……というか今回は対空戦闘評価が+されているだけで基本能力は前のと一緒なんだよねぇ
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オーク系オーク オークグール オークアックスマン ヘビーオーク オークライダー オークヘビーライダー オーク工作兵 スコーピオン スワンプ・マンモス ドリジブル ブラックワイバーン ボーンドラゴン オーク系 オーク オーク全般にいえることだが、「怒り」のアビリティーで体力を回復できるのが便利。 足も人間より速いので、白兵戦から一旦退却して「怒り」で回復できるのがオークの強みだ。 オークグール 自爆できる。色物的な存在か。 オークアックスマン 騎兵キラー。 人間と同じく、独立してアックスマンを雇用するよりも、必要に応じて騎兵から一時的に転職させる方が効率は良い。 ヘビーオーク より堅くなったオーク歩兵。ヘルメットがしぶい。 レグナイア様は厳しい戦いにさらされることが多いので、「怒り」のアビリティーは存分に活用したい。 早めの回復が正解。 オークライダー オークヘビーライダーまでのつなぎ。 オークヘビーライダー 高い攻撃力と防御力に加え、突撃によるSP供給+「怒り」の自己回復によって永久機関ともいえる存在。 防具も安価で十分な性能のものが手に入るので、優先的に配備したい。 本作最強クラスの性能。サルどもを踏み潰せ。 オーク工作兵 必要な面だけ使う、という存在。 スコーピオン 弓矢に対して無敵で、白兵戦にも強い。 敵として出てきた場合、白兵戦に持ち込まないとショックウェーブでみるみる体力を削られてしまうので、近くにいる時は最優先で駆除すること。 ハサミの間から頭を攻撃すると、かなり素早く倒せる。 ファイアーの副官攻撃でもほとんど即死させることができる。 スワンプ・マンモス 爆発攻撃以外には無敵という強力なユニット。 敵として出現した場合には、周囲の弓兵を駆逐してからボンバーウィングでの爆撃が手堅い。 遠距離から爆発物を飛ばしてくるので、マンモスに部隊が地上接近された場合は一度大きく距離を開けること。 自分で使う場合は、敵の爆撃にさえ気を配ればほとんど死ぬことがない(体力が多いので、攻撃されてもちゃんと回復の木を使ってやれば良い)。動きは鈍重だが、どんどん敵陣へ駒を進めさせたい。 ドリジブル マンモスが強すぎるので、どうも影の薄いドリジブル。 魔族版ボンバーウィングと考えれば弱くはないはずだが…。 マンモスの鈍重さが気になる人向けか。 ブラックワイバーン 対地攻撃、対空攻撃の両方をこなせるので便利といえば便利。 これもマンモスだと爽快感がないという人向けかも。 ボーンドラゴン イベントのみで使用可能。 バタルーン同様、遠距離から爆撃を行える。 ただ、攻撃力そのものが超強力というわけでもないし、敵の遠距離攻撃ですぐやられてしまうので神経を使って参戦させる意味は薄い。
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ドラゴンスレイヤー アイドレスWiKiの該当ページ 名称:・ドラゴンスレイヤー(職業) 要点:・超大剣 周辺環境:・迷宮・竜 評価:・体格(評価3)・筋力(評価4)・耐久力(評価4)・外見(評価1)・敏捷(評価0)・器用(評価-1)・感覚(評価0)・知識(評価-1)・幸運(評価0) 特殊: *ドラゴンスレイヤーの職業カテゴリは派生職業アイドレスとして扱う。 *ドラゴンスレイヤーは白兵戦行為ができ、この時、白兵戦の攻撃判定は評価+2され、燃料は必ず-1万tされる。 *ドラゴンスレイヤーは白兵攻撃以外での損害を受けない。 →次のアイドレス:・ドラグンバスター(マジックアイテム)・遠坂圭吾(青瞳)(ACE)・田辺真紀(ACE) コメント ちょ、白兵攻撃以外での阻害受け付けないってのは強いヨ……。つまり、他のアイドレスの特殊無効化の特殊を使うか、もしくは白兵で倒すしかない……。あとは損害以外の方法でなんとかするしかない……ということか……絶技とかも効かないんだろうか? 「影響を受けない」じゃなくて「損害を受けない」だから強いなぁ。しかも次に専用っぽいドラグンバスターっていうマジックアイテムあるしなぁ(というか、剣士派生妙に使えるの多いなぁ……つまり、他のアイドレスも派生していくとコレに対処する何かがあるのかなぁ) そして、次派生、遠坂君と田辺のマッキーがいる……。この二人ってガンパレードマーチの連中(生徒の中で)で登場機会少ないからそういう意味で気になってたのよねぇ。田辺真紀派生にMAKIあるのかな…… おまけ 派生元リスト 大剣士→その前剣士
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日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄 →(参考)「日本は侵略国家であったのか」解題 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。 (引用者注)満州事変のように軍を先に動かして既成事実を作った上で、相手国の『了承』を得る。これを侵略という。 (「検証 田母神前空幕長論文」朝日新聞朝刊2008年11月11日=以下「検証」と略す、では田母神さんに論文を「誤引用」された秦郁彦氏と保阪正康氏が厳しく指摘している。)秦 論文の冒頭近くにある記述だが、これは思いちがいだろう。「満州事変はどうだったのか」と反問するだけで崩れてしまう論だ。満州事変は、日本の関東軍が謀略で鉄道を爆破し一方的に始めた戦争だ。謀議者から実行部隊の兵士まで、すでに関係者の多くの証言がある。当時の軍首脳も政府も追認し、予算を支出している。日中戦争も大東亜戦争も相手国の了承なしに始めた戦争だ。保阪 史実を押さえれば、田母神論文のような解釈はできない。「国際法上合法的に中国大陸に権益を得て・・・・・・」とあるが、西欧列強もアジアでの支配を合法化した。だから正しい、と言うのは歴史の見方ではない。帝国主義の支配者は被支配者より何倍も狡猾だ。「多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」とも記述しているが、子どもの言い訳に等しい。 現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。 (引用者注)軍を先に相手国内で動かすことを「多少の圧力」と田母神氏は言ってる。この言い方はナチスドイツの侵略と少しも変わらない。 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。 (引用者注)当時日本政府は、中華民国政府と条約を結んで軍事駐留を行ったのではなく、華北では日本軍が設立した傀儡政府と条約や協定を結んだ。それらは皆、軍事行動が先行していた。 実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。 (引用者注)国共合作はコミンテルンの意のままに進んだのではなく中国の人民の支持の元に進められた。第2次国共合作は1937年日中両軍が激戦中の9月22日に、共産党が国民党に出した「国難に赴く宣言」(国民党政府への忠誠宣言)と、それを受けての蒋介石談話が放送されて、ようやく対立抗争の終結が宣言された。なお、中国共産党指導者毛沢東とコミンテルンから派遣されたオットー・ブラウンとの対立は厳しいものがあった。 我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。 (引用者注)わが国の軍部の中では、戦争拡大方針と不拡大方針とが対立していたが、現地派遣軍の独断専行で南京攻略戦が実行された。近衛文麿内閣は統帥権を振りかざす軍部に抗すすべなくそれを追認した。 ( 「検証」では)秦 国民党内にコミンテルンのスパイがいたから、蒋介石はコミンテルンに動かされていたなどと言うのは、「風が吹けばおけ屋がもうかる」式の強弁だ。張作霖爆殺事件も、コミンテルンの仕業という説が「極めて有力になってきている」などと田母神論文は書くが、歴史学の世界では問題にされていない説だ。張作霖爆殺事件が関東軍の仕業であることは、首謀者の河本大作はじめ関係者が犯行を認めた。このため田中義一内閣が倒れ、「昭和天皇独白録」でも、「事件の首謀者は河本大作大佐である」と断定されている。他にもコミンテルン謀略説の論文があちこちに出てくるが、いずれも根拠となる確かな裏付け資料があいまいで、実証性に乏しい俗論に過ぎない。 保阪 当時の国民党の指導者に取材したことがある。共産党側の人間が国民党に入っていたのは事実だが、コミンテルンが国民党を動かしていたというのは間違いだ。日本の軍部がソ連や共産主義への危機感をあおっていた見方だ。「陰謀史観」で歴史を見るようになると、何でもそれに結びつける。「盧溝橋事件でだれが撃ったか」は本質的な問題ではない。中国で日本軍が軍事演習を行っていた背景を見なければならない。 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。 (引用者注)張作霖列車爆破事件は河本大作大佐らの犯行であるということが、学問的にも確定している。 日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。 (引用者注)第2次国共合作前のことで、共産党は国民党軍の襲撃で根拠地延安を終われていて、劉少奇の記者会見などありえない。 もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。 (引用者注)ヨーロッパの大国が当時、侵略国家であったことは誰もが認めるところである。日本はそれに追随しようとした 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3 千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。 農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5 百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。 (引用者注)帝国主義国家が植民地の産業を開発しようとすることは、どの帝国主義列強も当然の如くしたことである。産業開発をしたからといって主権を認めないことが許されるわけではない。民族主権、独立解放に敵対することになる。植民地全体の経済の向上が即、住民の生活向上に結びつくわけではない。現に植民地化の中で田畑を失った朝鮮農民の衰退は現実のこととして知られている。 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931 年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。 (引用者注)帝国大学の設立が現地人のための教育の為かどうかは、その教育内容、教員学生の構成などを見ないと即断できない。だいいち、植民地に立派な大学を設立するのは大英帝国の植民地支配の模倣でもある。 また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。 (引用者注)帝国主義国がその植民地の指導者層を、自国の利害のためや自国の統治のために教育しようとすることは当たり前のことであって、それをもって対等な国家関係の証だ、というのは詐欺師の言葉に等しい。 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。 (引用者注)植民地の指導者層のなかでも、『王族』は植民地支配に利用するために、最も注意注意深く取り扱われた。『王』が日本の天皇の『臣』となることが、植民地支配の近道であった。 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。 (引用者注)イギリスがインド人に教育を与えることが無かった、なんていうことはない。ガンジー、ネール、は一体どこで高等教育を受けたというのか。東京裁判でのパール判事はどうか? 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。 (引用者注)盧溝橋事件は、偶発事件として現地処理で解決することは可能だった。にもかかわらず日本政府は、三個師団増派を決め戦争に突入した。 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。 (引用者注)ハリー・ホワイトは、後に「財務次官補」となる。ハルノートの当時は財務省の一部長。大統領の意思決定を左右するような地位にはない。 彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。 ( 「検証」では)秦 これも、バージョンを変えて繰り返し出てくる「ルーズベルト陰謀説」の一種だ。ルーズベルト大統領は日本側の第一撃を誘うため真珠湾攻撃を事前に察知していたのに現地軍に知らせなかった、という筋書きのものが多い。こうした話はミステリー小説のたぐいで、学問的には全く相手にされていない。保阪 米国が日本に先手を打たせたかったというのは事実だろう。だが、日本外国の失策に目をつぶって共産主義者が悪いというのはおかしい。41年4月に日米交渉が始まり、7月に日本は南部仏印に進駐。それに対し、米国は日本の在米資産凍結、石油禁輸措置を決める。政府や大本営が米国を見誤った「甘さ」の方が問題だ。日本が正しくてはめられた、などという論は無責任だ。 (引用者注)田母神さんは、<戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。>というが、プロの軍人として敗戦という結果はどう総括するのか? <被支配を招かないような選択>をするのがプロの政治家の任務であり、無鉄砲な戦争を起こさないように堅実な作戦、戦略をたてるのがプロの軍人の任務ではないのか? さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。 (引用者注)中国では、日本帝国主義からの解放戦争が行われた、中国は欧米帝国主義国までも味方につけてそれを成就させた。それは第2次世界大戦が、帝国主義国家間の戦争という側面から、帝国主義支配に対する人民の解放戦争へと戦争の意義が転化したからである。 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。 (引用者注)では田母神さんは、「戦争をしたから平和で豊かな社会が実現できた」とでも思っているのですか。<当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。>・・・事実そのとおりだから、私もそういいますよ。田母神さんのような<馬鹿>が指導者として大きな顔をし始めることは、要注意です。国民を犬死させた、そのことに対する反省がない。いや、反省どころか分析すらないご様子です。確かに当時の日本の政治指導者や軍部の指導者は、一人一人をとってみれば、教養のレベルが他国のそういう人たちに比べて低かったわけではありますまい。そこまで卑屈になることは無いですよ。だからこそ考えなくてはならないのは、「なのに何故あのような無様で悲惨な結果を招いてしまったのか?」ということです。 問題はそこにあります。厳しくその問題を探求しようとしない田母神さんのような人が「国軍復活」を叫ぶようでは、わが国の亡国が迫っているようにしか思えないのです。 (引用者注)これから後の田母神さんの言辞は、なんの事実にも基づかない妄想としか思えません。民主主義を<マインドコントロール>と断じて日本国民にそれを捨てよ、と自衛隊の制服を着たまま叫んでいます。言語道断としかいいようがありません。 しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポーで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。 ( 「検証」では)秦 果たしてそうだろうか。田母神論文はこれに続けて「タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高い」と国名を列挙するが、日本軍が華僑虐殺をしたシンガポールは、最近まで反日的な空気が強かったと承知している。独立国だったタイも日本軍の駐屯で被害を受けているので、感謝しているとは思えない。何より、列挙には、一番損害の大きかった中国が入っていない。満州事変に触れなかったのと同様、重要な史実からは逃げ、都合の良い話だけをつないだように見える。保阪 インドネシア独立義勇軍に加わった何人もの元日本兵に取材した。独立のため戦死した日本兵も多い。本当に東南アジアの解放のために戦ったのはそういう人だが、国は「逃亡兵」とした。そういう事実も見もしないで、都合のいいことを語っている。 そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。 ( 「検証」では)秦 田母神論文の前の方で、「よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と書いている。そこはその通りだと思う。しかし、日本も他の国も侵略国家だったとすると、論理が合わなくなるのではないか。保阪 「侵略国家」とは、どういう意味か。戦後、一つ一つの史実を検証したうえで「これは侵略だ」と認定してきた。中国を侵略したことは政府でさえ認めた。否定するならば論拠を示すべきだ。論文に書かれている事実はいずれも核心ではない。一部を取り出して恣意的につなぎ合わせるだけで一面的だ。戦後、史実をを実証的に積み重ね、戦争を検証してきた。論文は「60年」という時間を侮蔑している。 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。 ( 「検証」では)全体を通じて秦 論文というより感想文に近いが、全体としては稚拙と評せざるをえない。結論はさておき、その根拠となる事実関係が誤認だらけで、論理性もない。保阪 かつて兵士たちが生還して色々なことを知ったとき、「日本もむちゃをやった」と素朴な感慨を持った。われわれはそこからスタートしている。昔の日本に批判的なことを「自虐史観」というが、「自省史観」が必要なのだ。ナショナリズムを鼓吹した時、それは偏狭な運動になる。歴史を誇るのであれば、事実に謙虚でなければ。 「偉そうな軍人さんは嘘をつく」庫
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http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側 第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を行った。力点は満蒙に置かれ、既得権益の存続に対して条約的根拠を与えることにあった。 1922年に山東懸案細目協定や鉄道細目協定を結んだ。中国では国権回収運動が高まりつつあった。日本は中国に対し「対支文化事業」という文化的アプローチを打ち出していた。中国側の意向をかなり反映し、名称も「東方文化事業」と改められた。にもかかわらず東方文化事業は文化的侵略だとの批判が中国側から相次ぎ、済南事件以後、中国の委員が脱退するに至った。 田中義一内閣が発足し、居留民保護のため山東出兵を行った。田中内閣は東方会議を開催し、「対支政策綱領」を訓示した。田中にとって理想的なのは、反共的傾向にある蒋介石や張作霖が中国の南北を分割して統治することだった。 東方会議に関連して、「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。田中首相が昭和天皇に上奏したとされるものである。内容は東方会議に依拠した中国への侵略計画であった。だが「田中上奏文」は実際の東方会議とは大きく離反していた(注釈=重光葵駐華臨時代理公使らが国民政府外交部に「田中上奏文」の根本的誤りを説いており、満州事変前の中国は日本の取り締まり要請にある程度応じていた。このため国民政府外交部は「田中上奏文」を偽書と知っていた可能性が少なくないと思われる)。 関東軍の謀略によって発生した張作霖爆殺事件は、田中首相の構想を葬り去るものであった。田中内閣は、対満州政策の柱と位置付けてきた張作霖を失った。 日本は対華21カ条要求という過大な要求を突きつける失策を犯した。とはいえ、日本が一貫して大陸への膨張に突き進んだわけではない。重要なのは、21カ条要求の経験に学ぼうとしたことであろう。ワシントン会議の精神のもとで幣原外交は統一へと向かう中国に理解を示した。だが国内では「軟弱外交」という批判が高まった。田中外交もワシントン体制を脱しようとするものではなかったが、田中の意図に反して関東軍が張作霖爆殺事件を引き起こしてしまった。 ◇中国側 第一次世界大戦が勃発し、日本は列強が東洋を顧みる余裕がないことに乗じ、中国に対する優越的地位を獲得することを決定した。日本の標的は、対独戦勝利を獲得するだけでなく、中国そのものであった。近代以来、列強が中国に新たな特権を要求したのは、そのほとんどがある戦争あるいはある事件が起きた後、その善後策としてあるいは懲罰としてだった。しかし日本が提出した「対華21カ条要求」は全く異なり、日中間に衝突が発生しておらず、ことさら理不尽であることは明白だった。 1927年4月、田中義一内閣が発足した。田中は積極的な大陸拡張主義者だった。満蒙は中国本土と違い、日本は特殊な利害を有すると見ていた。新たな対中国政策を制定するため、「東方会議」を開催した。日本が武力をもって南方勢力の東三省進入を阻止して、中国東北部を日本の武力の保護下に置こうとしたことを意味した(注釈=東方会議の後、「田中上奏文」が伝わった。文書の真偽に関し、学界では多くの議論があった。文書がどのように生まれたかはまだ不明なところがある。しかし、後の日本の拡張路線は正にこの文書の記述通りに展開された。重光葵も「その後、東亜で発生した事態及び後に日本がとった行動は、田中上奏文を教科書にして行った様子を呈している。この文書に対する外国の疑問を解消することは困難」と述べた)。 日本の山東出兵は、国民革命軍の北伐を阻止することができず、張作霖軍の失敗は予測しうるものとなっていた。日本はいかに張作霖に対処するか、満州でどのような行動をとるか考え始めた。張作霖は東三省に撤退しようとしたところ、専用列車が事前に設置されていたダイナマイトの爆発によって転覆し、死去した。事件は関東軍高級参謀、河本大作大佐が画策したものだった。張作霖をまだ利用しようとした田中政権は、本当に張作霖を謀殺すると思っていなかったため、直ちに中国東北部を奪取する準備ができていなかった。 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで ◇日本側 1931年9月18日夜、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路が爆破された。関東軍の石原莞爾と板垣征四郎を首謀者とする謀略によるものであった。関東軍は中国軍の仕業とし、自衛のためと称して奉天を制圧した。 陸軍では課長レベルで、在満権益に重大な侵害が加えられた場合には武力発動する、というコンセンサスが成立していた。ただし、石原や板垣にとって、武力発動は単なる自衛や権益擁護のためだけではなかった。北満も含む満州全土を領有するつもりであった。満州での武力発動は、政府や陸軍指導部の基本方針に反する行動として開始された。 東京の若槻内閣は事態不拡大の方針を決めた。しかし、朝鮮軍は陸軍指導部が許可を得るのに戸惑っていることにしびれを切らして、独断で国境を越えた。若槻内閣は朝鮮軍増派を追認せざるを得なかった。この後、現地軍の一部が突出し、東京の陸軍指導部と政府が追随し出先軍の行動を追認していくパターンが繰り返されることになる。 満州では満州国建国が宣言された。国際連盟調査団が現地入りする前に既成事実が作られた。犬養首相は満州国の国家承認に否定的だったが、テロで暗殺されてしまう。国際連盟のリットン報告書で提案されたのは、中国の主権と領土保全の原則を前提としながら、軍閥を排し、満州における日本の権益と歴史的かかわりを考慮した自治的地方政府を形成することであった。事変前なら日本でもそれなりの評価を得たであろう。しかしほとんど見向きもされなかった。 満州国居留民の中には理想的な国家を造ることに情熱を燃やす者もあった。むろん積極的に新国家建設に参加する住民は少なかった。平頂山事件のようにゲリラに通じたとされる住民の虐殺に至るケースもあった。 日本の国防方針において、中国は仮想敵国の一つだった。陸軍は毎年、中国と開戦した場合の作戦計画を作成した。1936年9月、日本軍と中国軍兵士との間に小競り合いが生じた。日本軍が中国軍に武装解除を要求しなかったのは中国軍第29軍を恐れたからだとうわさが広まり、憤慨した連隊長、牟田口廉也は、類似の事件が起きたら抗日観念に一撃を加えねばならぬと訓示したという。類似の事件は盧溝橋(ろこうきょう)で起こる。中国の「増長」を憎み、対中強硬論者は、中国に「一撃」を加えることをちゅうちょしなかった。 ◇中国側 1931年9月18日夜、日本の関東軍は奉天近郊の柳条湖で南満州鉄道の線路爆破を企て、中国軍の仕業だとして東北軍の駐屯地北大営と奉天を攻撃し、中国東北地区侵略の「満州事変」を発動した。満州事変は日本の大陸政策の実践である「満蒙政策」の必然的産物である。日本の駐奉天総領事は外相に電報を送り、関東軍の「既に決定した満鉄沿線各地から一斉に積極的行動を起こす方針」であり、「この事件はまさしく計画的行為である」とした。 日本政府は「事態不拡大」の方針を表明したが、実質的には次第に拡大する軍部の中国侵略行動に追随した。犬養内閣が発足、軍部の「皇道派」新リーダー支持の下、日本軍は遼寧省西部地区を攻撃し、錦州を占領。昭和天皇は関東軍の行動を褒めたたえる「勅語」を下した。 満州事変後の1932年1月4日、関東軍は「満蒙中央政府」を成立させる方案を決定した。偽満州国が成立して間もなく、「執政」溥儀と関東軍司令官、本庄繁の間で「秘密裏の文書交換」方式で「日満協約」が調印された。日本が作り出した満傀儡(かいらい)政権に対し、中国政府は徹底的に反対した。 満州事変後、国際連盟は調査団派遣を決定した。国際連盟は「日中紛争に関する報告書」を採択し、中国の東北における主権と偽満州国不承認の立場を堅持。日本は国際連盟脱退を通告した。日本が満州事変を発動し、満州国を作り出した必然的帰結である。 日本軍は東北陥落区で多くの戦争犯罪を起こした。撫順の平頂山で三千余人を虐殺、関東軍731部隊及び第100部隊は中国人を利用して人体実験を行い、生体解剖まで行った。 満州事変以降、日本が全面的に中国侵略を速めたことは、中国政局を分裂状態から急速に統一へと向かわせる外的要因となった。日本は盧溝橋事件後、急速に中国全面侵略戦争へと向かっていった。 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 ◇日本側 1937年7月7日、支那駐留軍は盧溝橋畔での夜間演習中、2度の銃撃を受け、部隊を出動させた。前進する中隊と中国軍の戦闘が始まると、8日午前5時半に大隊長が総攻撃を命じた。銃撃直後から兵士1名が行方不明になり、まもなく帰隊したが、かなり後まで大隊本部に報告されず事態を緊迫させる一因となった。 最初の発砲事件は「偶発的」で、現地で局地的解決の努力がなされた。しかし衝突事件を好機と見た支那駐留軍や関東軍は、蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を圧倒的な軍事力によって実行した。国民政府軍に一撃を加え一挙に日中問題を解決する「一撃論」は、陸軍部内の「不拡大派」を圧倒した。近衛文麿内閣も事態の拡大を抑制するより、事件を行き詰まっていた中国政策の打開の好機ととらえ、容認した。 12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始。最初の部隊は12日から城内に侵入し、13日に占領した。この間、中国政府高官は南京を離れ、住民の多くも戦渦を逃れ市内の南京国際安全区(「難民区」)に避難し、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた。 首都衛戍司令官の唐生智は、11日に蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛司令官に包囲突破による退却を命じた(注釈=唐司令官は陣地の死守を命じ揚子江の無断の渡河を厳禁し、違反者は武力で制圧したため、同士打ちが始まり、多くの兵士が徒死するにいたった)。 中支那方面軍は「軍紀風紀を特に厳粛にし」と通達したが、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した。 日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、47年の南京戦犯軍事法廷で30万人以上とされ、中国の見解はこれに依拠する。一方、極東国際軍事裁判の判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)とされた。日本側の研究は20万人を上限とし、4万人、2万人などがある。諸説ある背景には、「虐殺」の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計などの資料に対する検証の相違が存在している。 ◇中国側 1937年7月7日、日本軍は盧溝橋北部の宛平城付近で夜間演習を行った。夜10時40分ごろ、演習陣地より銃声が聞こえ、日本軍は1名の兵士が失踪(しっそう)したと称した。失踪兵士は帰隊したにもかかわらず、日本側は宛平城に入り兵士を捜索することを要求。8日午前5時半、日本軍が城内に向け発砲し、日中全面戦争の幕を開いた。日本の駐留軍が合法的な駐在地でない豊台から来たことは、事変発生と日本の中国侵略政策の深い関係を裏づけ、必然性をも帯びている。 36年8月に参謀本部が作成した37年度の対中国作戦計画に上海や南京の占領が盛り込まれ、盧溝橋事変後、日本軍はこの計画に従って行動した。日本軍の上海占領後、国民政府は首都を南京から重慶に移した。唐生智を南京守護部隊司令長官に任命し、15万余の兵力で防衛にあたらせた。12月3日、日本軍は10万人余の兵力で南京包囲作戦を実施。中国軍は勇敢に抵抗したが、12日に日本軍の強力な砲撃を受けてやむを得ず包囲網の突破作戦を実施し、13日に南京は陥落した。 日本の海軍が揚子江を封鎖した後、中国部隊は包囲網を突破できずほとんど捕虜になった。日本軍は後方支援の準備が不十分で、捕虜の数が多すぎることによる安全面の憂慮があった。南京攻略後も、日本軍は捕虜を虐殺し続けた。退路がなく、中国の一部将兵は武器を捨てて難民区に逃れた。日本軍は「敗残兵」を捜査し、多くの民間人が軍人と誤認され殺害された。 日本軍は、はばかりなく中国の婦女を強姦した。強姦で伝染病が伝播(でんぱ)し戦闘力が低下することを恐れ、南京占領後、慰安所を設置し始め中国人女性を強制的に日本軍の性奴隷にあてた。 日本軍の南京における放火、虐殺、強姦、略奪は国際法に著しく違反していた。第二次大戦終結後、連合国は東京で、中国は南京で軍事法廷を設けた。極東国際軍事裁判所の判決書によれば、「虐殺された人は20万人を超える」。南京国防部軍事裁判所は、被害者総数は三十余万人と認定した。 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争 ◇日本側 日本軍は華北の抗日根拠地を基盤とする共産軍の実力を脅威と認識し、共産軍対策が重点目標となった。41年3月から42年末にかけて、北支那方面軍は華北の抗日根拠地に対して組織的な「掃蕩(そうとう)」作戦を展開。農作物の収奪や没収、強制買い上げなど規模は大きくなった。物資と食糧の確保に手段を選ばない討伐作戦は、中国側が「三光作戦」と呼ぶ非違行為の背景となっていた。また満州や日本への労働力の提供のため、200万人を超える労働者が華北から満州・蒙疆に提供され、日本本土への強制連行は43年9月から試行的に始まり、45年5月までに約3万9000人が移送された。 43年11月、日本のアジア占領地に樹立された「独立国」の代表(満州国、汪兆銘政府など)が東京に参集し、大東亜会議が開催された。共同宣言の立案を担った外務官僚と重光葵外相は、「大東亜共栄圏」といった排他的で日本の盟主的地位を強調した戦争目的に代わり、自主独立、平等互恵、人種差別撤廃、資源の開放といった普遍的な国際理念を盛り込み、戦後世界の発言力確保を狙った。しかし陸軍省や参謀本部の反対で実現せず、修正された。大東亜会議に日本が託した重要な狙いの一つは、重慶国民政府を連合国陣営から切り離すことだったが、蒋介石や中国人民を引きつけることはできなかった。 蒋介石が参加した英米中のカイロ会談は、日本の占領地からの撤退を前提に、戦後アジアにおける国際秩序の基本的枠組みを議論。カイロ宣言で台湾返還、朝鮮の独立など日本領土の処分に開戦後、初めて言及した。日本政府は、カイロ宣言の狙いは「抗戦の名目」を失いつつある蒋政権の連合国陣営からの離脱を防ぐためとみて、国際的な意義を重視することはなかった。 非戦闘員の犠牲の多さや日本軍による「非違行為」は、戦後の日中両国民の中に、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を残した。国交回復した72年の日中共同声明において、中国政府が「戦争賠償の請求を放棄する宣言」を明記したにもかかわらず、細菌ガス使用、戦場における慰安婦、遺棄兵器、強制連行や強制労働の問題など、日本軍による戦争犯罪を問い、戦後補償を求める運動が世代を超えて展開され、日本政府を相手とした裁判が今日まで続いているのは、そのことを物語っている。 ◇中国側 太平洋戦争が勃発して以来、日本は「戦争で戦争を養う」方針をとり、華北を「兵站(へいたん)基地」にしようと、対中侵略軍を集中した。抗日拠点に対して、焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くすという「三光政策」を実行し、度々毒ガスも使用した。日本軍は傀儡政権を樹立し、農村における抗日秩序を破壊しようとした。 日本が占領区で行った経済略奪の最も重要な行為は、経済統制機関にあたる国策会社を設立し、日本の侵略戦争の手助けをさせることだった。日本の原料生産と軍需工業製品の基地となり、重要な戦略物資が日本に運ばれた。労働資源も経済略奪の重要な対象で、華北地域だけでも日本のために働いたもの、その家族は960万人余、うち3万8900人余の労働者が日本に連れていかれた。 米英中のカイロ会議は、大戦期間中に中国指導者が参加した唯一の連合国首脳会議であり、国民政府は非常に重視した。カイロ宣言は「日本が中国から盗み取った領土を中国に返還させる」と宣告した。中国人民の失地を回収する神聖なる使命が国際的保障を獲得した。44年2月から米英ソは新たな国際組織の役割について協議を始めた。国連の創設メンバー国と安保理の常任理事国として中国は重要な貢献をした。 日本の中国侵略戦争は中国人民に甚大な災難をもたらし、不完全な統計によれば3500万人余りが死傷した。中国国民党と中国共産党の指導する抗日軍隊は、共同で侵略者に対抗する戦略的態勢を取った。日中戦争は中国における民族の覚醒(かくせい)を掻(か)き立て、国内の勢力図を塗り替えた。抗日戦争の勝利からわずか数年で中国人民は革命の勝利を勝ち取り、民族の独立を成し遂げた。 戦争は日本の歴史の転換点でもあった。日本人民は自らに甚大な災難をもたらした軍国主義を排除し、平和発展の道を歩み出した。戦争の終結は、両国に新たな平等関係を樹立する可能性を与えたのである。 ============== ◇議論3年、計6部15章 3年の議論を経てまとまった初の日中歴史共同研究の報告書は、「古代・中近世史」計3部6章と、「近現代史」計3部9章から構成される。両国の有識者が各章の論文をそれぞれ執筆したが、「近現代史」のうち歴史認識の差が大きい第二次大戦後の章(「近現代史」第3部第3章)が、中国側の要請で非公表とされた。 ============== ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆日本側・近現代史分科会 北岡伸一・東大大学院教授(日本側座長) 小島朋之・慶大教授(故人) 波多野澄雄・筑波大大学院教授 坂元一哉・大阪大大学院教授 庄司潤一郎・防衛研究所戦史部第1戦史研究室長 ◆日本側・中近世史分科会 山内昌之・東大大学院教授 川本芳昭・九大大学院教授 鶴間和幸・学習院大教授 菊池秀明・国際基督教大教授 小島毅・東大大学院准教授 ◆中国側・近現代史分科会 歩平・社会科学院近代史研究所長(中国側座長) 王建朗・同研究所副所長 栄維木・同研究所「抗日戦争研究」編集部執行編集長 陶文〓・中国社会科学院米国研究所教授 徐勇・北京大学歴史系教授 臧運〓・北京大学歴史系副教授 ◆中国側・古代・中近世史分科会 蒋立峰・社会科学院日本研究所所長 湯重南・社会科学院世界史研究所教授 王暁秋・北京大学歴史系教授 王新生・北京大学歴史系教授 毎日新聞 2010年2月1日 東京朝刊 日中歴史共同研究
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エキスパンション 第1弾 カードNo 017 種類 メカニック レアリティ R 名称 グフ(ランバ・ラル機) 所属 ジオン公国軍 コスト 250 出典 機動戦士ガンダム HP/ATK/MOV 19/21/22 武装A フィンガー・バルカン 武装B ヒート・ロッド 武装C ジャイアント・バズ(23) 武装D ジャイアント・バズ 援護 防御 出撃適性 地上 適性地形 森林 ○ ストライクオペレーション 【Lv6】フィンガー・バルカンATK 11600 DEX 70 TP 1 STRIKER -【Lv9】ヒート・ロッドATK 18450 DEX 70 TP 2 STRIKER - MSスキル 【Lv1】白兵戦MS(ランバ・ラル機)メインがBモード中、メインの攻撃時にSAを発動しやすくさせる。※「ランバ・ラル」が搭乗時、更にメインは全モード中のSA攻撃力がアップする。 スキル「白兵戦MS(ランバ・ラル機)」のSA攻撃力アップ値は10%。 左上:Aモード、右上:Bモード、左下:Cモード、右下:Dモード 二重武装:B・Cモード 左からSモード1:フィンガー・バルカン、Sモード2:ヒート・ロッド 搭乗補正のかかるキャラクター 名前 補正量 ランバ・ラル ? コメント 名前 (第1弾/メカニック/ジオン公国軍/Rグフ(ランバ・ラル機)/コメント,reply,20) ※この入力欄は検索枠ではありません。 各書き込みの冒頭のラジオボタンをチェックしてから書き込むと、その書き込みへのレスになります。 ▼全文表示する
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http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/61191/ 【正論】秦郁彦 沖縄集団自決をめぐる理と情 07/06 06 53 トラックバックURL: http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/61191/TrackBack/ ■報道は冷静な検証の姿勢忘れずに ≪情緒過剰な記事が並ぶ≫ 6月23日は、62年前に沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)の洞穴で、牛島軍司令官が自決、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日である。 沖縄県は、この日を「慰霊の日」と定め、軍人・軍属、一般住民がそれぞれ9万余人、米兵をふくめると20万人の全戦没者を追悼する式典を挙行してきた。しかし今年は、住民の集団自決をめぐる高校用日本史教科書の検定で「軍命令による強制」が削除されたことについて、県議会が検定意見の撤回を求める意見書を採択したこともあり、騒然とした「慰霊の日」となった。 ほぼ全面無視した読売新聞を除き、主要各紙は社説や社会面記事で大々的にこの問題をとりあげた。これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった。 たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。 激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質にある。 ≪攻撃用武器の手投げ弾≫ ついでに記すと、県議会では「集団自決の軍命令はあったはず」と主張する野党と「なかったらしい」と主張する与党の議員が対立、妥協のすえ意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」という争点を外した表現におちついたとのこと。 「関与」とは一部で日本軍の手投げ弾が自決用に使われたのを指しているらしいが、兵器不足に悩み、兵士に竹槍まで持たせていた日本軍にとって、手投げ弾は貴重な攻撃用武器だった。現地召集の防衛隊員(軍人)に持たせていたものが家族の自決に流用されたのに、16歳だった語り部の元短大学長が「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語るのを、朝日が社説(6月23日付)で「悲惨な証言」と信じ込み、引用しているのはいかがなものか。 ≪軍命令見つからない理由≫ さすがに社説ともなると冷静なタッチが多いなかで、朝日だけは突出した情緒論で終始している。他にも日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し実行していったとか、捕らえられれば「女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた」と書いているが、いずれも事実無根に近い。 牛島軍は、県当局と協議して住民を予想戦場から遠ざけるため本土や本島北部への疎開を命じ、戦闘末期には米軍の保護に委ねるふくみで戦場外の知念半島への避難を指示している。 その結果、米軍記録によると28万余人の住民が投降した。そのなかには日本軍陣地へ投降勧告に出向く志願者がいて、スパイと疑われ処刑された例もあったが、例外的事件にすぎない。 そのころ12歳の軍国少年だった筆者も「鬼畜米英」への憎しみと恐怖を抱いていた記憶はあるが、誰が吹きこんだのか覚えていない。親や先生ではなかったと思うし、ひょっとすると、わが家で取っていた朝日新聞か主婦の友かもと考えたりもするが、少なくともこの種の流言、浮説を記した政府・軍の公文書はなかったと思う。 ところが、研究者でも集団自決や慰安婦の強制連行を証する軍命令が見つからないのは、終戦時に焼却したからだとか、個々の命令はなくても戦前期の天皇制や軍国主義教育に起因すると強弁する人が少なくない。 集団自決が起きたのに「いまさら『日本軍は無関係』と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる」としめくくった朝日社説も同類項なのだろうか。(はた いくひこ=現代史家)
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++T15編成書式++ 00:有翼茉莉花騎士団 ■A.共通根拠URL (A-1) 着用アイドレス表URL:PLACE個人騎士団につき省略 (A-2) 文殊個人修正一覧URL:PLACE個人騎士団につき省略 (A-3) 藩国イグドラシルURL:http //www.usamimi.info/~idress/pukiwiki/index.php?%BA%CB%C1%EA%C9%DC%C8%CD%B9%F1%A5%A4%A5%B0%A5%C9%A5%E9%A5%B7%A5%EB #所属騎士団所有アイドレス:http //www30.atwiki.jp/idress/pages/117.html (A-4) 文殊組織保有兵器URL:使用しないため省略 (A-5) 藩国保有アイテムURL:http //maki.wanwan-empire.net/nations/items_by_nation/0 (A-6) 聯合フェイズURL:【テンダイス該当ページ】 -【聨合対象1】,【聨合対象2】,【聯合対象3】,… ■B.部隊情報 <有翼茉莉花騎士団> (B-3) 部隊編成 ○歩兵 【00-00526-ace0_瀬戸口まつり2】:瀬戸口まつり2+SHQ+SHQ:外見+3; -家族の指輪:【個人】所有:(家内安全のために行動する場合)全判定、評価+2(着用型/手先) -秘書官正装:【個人】所有:外見+3(着用型/胴体) -レーザーピストル:【個人】所有:近距離戦可能,近距離戦+3(片手持ち武器) -秘書官特殊装備(扇子):【個人】所有:白兵戦時、攻撃と防御に+2(片手持ち武器) -個人取得HQ根拠URL:http //farem.s101.xrea.com/idresswiki/index.php?00526-01%A1%A7%C0%A5%B8%CD%B8%FD%A4%DE%A4%C4%A4%EA ■C.部隊能力 (C-1) 初期AR:10 (C-2) 航路:なし (C-3) 部隊評価 体格25:筋力25:耐久力25:外見28:敏捷25:器用25:感覚25:知識25:幸運25 装甲:25 白兵防御:30 #剣技の手ほどきを受ける、秘書官特殊装備(扇子)の特殊を適用できるか質疑中 #http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=6245 近距離戦:28 #低物理域では不可 治療:31 整備:28 ○同調 瀬戸口まつり2:28 (C-4) 評価値に反映される特殊 -医師:治療+3 -名医:治療+3 -チューニングマスター:整備+3 -秘書官特殊装備(扇子):白兵戦時、攻撃と防御に+2 詳細:PLACEのみなしに白兵戦が可能な職業がないため、防御のみに適用となります -剣技の手ほどきを受ける:白兵戦防御+3 詳細:東方有翼騎士団で取得した【組織】所有アイドレスであり、収得当時の秘書官全員が効果を受けた。根拠:http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=3177,http //www30.atwiki.jp/idress/pages/614.html #剣技の手ほどきを受ける、秘書官特殊装備(扇子)の特殊を適用できるか質疑中 #http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=6245 (C-5) その他行為/特殊 -家族の指輪:【個人】所有:(家内安全のために行動する場合)全判定、評価+2(着用型/手先) -魔法の手ほどきを受ける:【組織】所有:魔法を見ることが出来るようになる,魔法の知識を得る(知識判定を行うことが出来る) -個人取得HQ根拠URL:http //farem.s101.xrea.com/idresswiki/index.php?00526-01%A1%A7%C0%A5%B8%CD%B8%FD%A4%DE%A4%C4%A4%EA ■E.消費資産 (E-1) 出撃費用 資源:0万t 食料:0万t 燃料:0万t (E-2) 編成種別 【軽編成】 (E-3) 特殊消費(重編成の場合は3倍) 資源:0万t 食料:0万t 燃料:0万t (E-4) 消費修正 使用せず (E-5) 合計消費 資源:0万t 食料:0万t 燃料:0万t ++T15編成書式はここまで+++ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ++T15個人データ書式+++ 【国民番号_国民名】:【着用アイドレス(人+職業+WD)】+【HQ修正】:【個人補正1】*【個人補正2】* …… -【装備等アイドレス】:【組織/個人】所有:【効果抜粋】(着用型/【着用箇所】) -詳細:【質疑掲示板などのURL/解説など(必要な場合のみ)】 -【装備等アイドレス】:【組織/個人】所有:【効果抜粋】(着用型/【着用箇所】) -個人取得HQ根拠URL:【個人アイドレスHQ管理リスト該当ページ(個人所有アイドレス使用時のみ)】 #ACEの場合 【00-00526-ace0_瀬戸口まつり2】:瀬戸口まつり2+SHQ+SHQ:外見+3 -家族の指輪:【個人】所有:(家内安全のために行動する場合)全判定、評価+2(着用型/手先) -秘書官正装:【個人】所有:外見+3(着用型/胴体) -レーザーピストル:【個人】所有:近距離戦可能,近距離戦+3(片手持ち武器) -秘書官特殊装備(扇子):【個人】所有:白兵戦時、攻撃と防御に+2(片手持ち武器) -個人取得HQ根拠URL:http //farem.s101.xrea.com/idresswiki/index.php?00526-01%A1%A7%C0%A5%B8%CD%B8%FD%A4%DE%A4%C4%A4%EA